THE WHO 来日までの COUNT DOWN 33日 ザ・フー

 kenney Jones
 79年〜82年、85年ライブエイドとフーのドラマーを努めた。フーの正式なメンバーとして迎えられらたのはキ−ス後はケニ−だけである。ケニ−在籍時に残した2枚のアルバムは必ずしもいい出来ではない、ドラミングも変化に乏しく、物足りない感は免れない。それは、アルバムの他作品に比べての低評価はケニ−だけのせいではなく、他のバンドメンバーに負う部分の方が大きいだろう。ケニー一人だけがこの時期のフーの低迷の責任を押し付けられているようで、気の毒である。
 ピートもソロ作品で起用しているし、実力も実績もあるドラマーだと思う。ライブで聞く限り、他のプレーヤーと絡み、79年〜82年のフーサウンドは、これまでの数々のヒット曲や曲調の全く違うアルバム群を消化していて、今から考えると現在のサウンドはキース時代のサウンドのリインカネーションを感じさせる箇所が多いのに比べて、この時期はmy generationからして、かなり曲調の違うサウンドになっている。
こぢんまりとはしているが、スピード感のある演奏というイメージ。フーサウンドのメインはキース在籍時であることに疑いの余地はないが、そのうちにこの時期の演奏にもまた違う価値観が見出され、評価される日が来るのではないだろうか。少なくともアルバムwho's lastにはロックのエナジーがありました。
 一番ケニーにとって、不幸だったのは加入がキース死亡直後であったことだ。キースのイメージが常につきまとい、あまりいい思いはしなかったに違いない。もう少し間隔をおいて加入していたらまた違う展開もありえたのではないだろうか。
 Simon Phillips
 ケニーと違い、サイモン・フィリップスは89年の再結成のツアーのドラムを務めたが、キースの代わりであるというプレッシャーは全く無いかのようにプレイしていた。コアなファンからケニー同様、フーのドラマーとして合格の烙印は押してもらえなかったが、そのことも全く気にしていないようであった。
 私はケニー同様、気に入っていました。当時は大編成のバンドでもあったし、あれくらい派手に叩いてくれる人の方がかえって良かったのでは。
 結局ドラマーは誰でもお前は気に入るんだろうと言われそうだか、私はドラマーには特にうるさい方である。
 本、本、本当です。
 2000年にフーがNYでチャリティコンサートを開いたときに、ザックの予定が合わずサイモンが代わりに叩いている。
 その時は現在の編成のバンドなので、どんな演奏をしているか聞いて見たい。千ドル以上のチケットで人数も少ないためかブートも私が知る限りでは出回ってはいない。
 バンドが一流のドラマーを失ったら、それは致命的(同じ評価と人気を維持するとういう点で)であることをフーは身をもって証明した。他にもそれに成功したバンドはないだろう。
 しかし、フーには奇跡ともいえる出来事が起きたのです。明日に続く