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それにしても武道館追加公演、ショッキングなニュースでした。予定通り4公演とするか、後半3公演とするべきか、不可能に近い全公演を検討するか、すぐには結論は出ませんが、今日は、昨日アップするつもりでした「2002年編成の現在のユニット」について、思いついたことを書いてみました。
2006-2007ツアーはフーとしては、大掛かりなツアーでした2006年5月に始まり、2007年7月に終わりました。当初はツアー開始までに発表するはずだったニューアルバムも結局完成せず、日本での発売は2006年11月で、アルバムの発表前と後で趣の違ったものになりました。
ツアー自体は第1レグ〜第4レグに分けられます。
第1レグ ヨーロッパツアー(22公演)2006年6月17日〜7月29日
初日がリーズ大学、サマフェスを中心に参加、ミニ・オペラは数回演奏、「愛の支配」を12回演奏したが、以後のツアーでは全く演奏されず、The Who TVで数曲、会場によっては(ハイドパーク、ロカルノ、ウルム)では全曲生中継(インターネット)されました。
第2レグ 北米ツアー(41公演)2006年9月12日〜12月11日
すべての会場において、ミニ・オペラを演奏、他3曲程演奏し、プローモーション色強くなる。但し新譜発売は11月。新譜のFragmentsは40回演奏、北米向けにヨーロッパで1回も演奏されなかったEminence Frontが39回演奏された。参考までにAnother Tricky Day 及びJoin Togetherの演奏は全レグにおいて演奏はありませんでした。Let’s See Actionは第1第2レグで7回演奏されていますが、第3、第4レグではトラブルのあったベローナ公演時に急遽1回のみ演奏されています。Magic Busは計4回演奏。第2レグより初めてTea & Theaterがラストの曲としてトミーメドレーの後に演奏されるようになる。第3レグはほとんどが北米でアリーナクラスの会場で、セットリストもかなり似通っており、インターネットの生中継も中止になり会場ごとの特色の把握が困難でした。後半はロジャーの喉の不調が数回見られた。
第3レグ 北米ツアー(16公演)2007年2月23日〜3月31日
初の中南米公演を含むツアーでしたが、チケット売り上げ状況におるキャンセルとタンパ公演1曲目でロジャーがダウンしたことにより、結局中南米公演はすべてキャンセルになりました。1ヶ月弱の短いレグで目玉は初の中南米ツアーだったと思われるが、ひとつも実現せず、結局は前レグで売り上げの良かった都市をもう一度回るツアーになってしまった。ロジャーは体調不良で入院までするはめに。グラストンベリーが先に決まっていたので、このレグの追加が日本公演がこのツアーの中で実現しなかった最大の要因になりました。
第4レグ ヨーロッパツアー2007(29公演)2007年5月16日〜7月29日
2006-2007ツアーの最終レグ。第1レグほどではないがサマフェスへも多く参加。第1レグで会場の盛り上がりにピートが感激した、マドリッドへ凱旋。再度盛り上がったかどうか分からず。ヨーロッパツアーは歴史的建造物に囲まれバルコニーからの無料観覧車も含めた雰囲気のあるロカルノや大聖堂のとなりで演奏したドイツ、ウルムなど会場自体に特色のあるものも多く、その一つとなるはずだったベローナ古代劇場でのライブは度重なる雷雨での中断で、遂にロジャーの声が出なくなるトラブルに見舞われ、長い中断の後、ピートがメインボーカルを取り、最後まで敢行。その模様のアンコールCD,DVDは発売中止となった。このレグではセットリストの見直しなされ、第3レグでほほ固定セットリストだったのが、ミニ・オペラは演奏されない会場もかなりあり、しかもReal Me,5:15とQuadropheniaからナンバーが初めて演奏され、北米ファンから不満続出。レグの後半でセットリストから消えかけたたがロンドン公演ではReal Meは演奏され、それは北米から見に来るファンの要望と取り入れたものであっと思われます。今回の日本公演でも多くのファンからの強い要望という形でオフィシャル掲示板に書き込めば、演奏してくれる可能性は高くなります。但し、封印された曲以外であれば。どれが封印かどうかはもちろん明らかになっていません。考えられるのはキーの関係でロジャーが歌いにくい曲とか、ジョン作曲とか。Real Meは私としてはジョンの強烈ベースラインの関係で封印曲と考えていたのが演奏しましたし、先日あったロジャーのライブではなんとSummer Time Bluesを歌っていますので、ジョンがメインボーカルがとっているもの以外はその気になればなんでも出来るのかもしれません。ベローナに戻りますが、グラストンベリーまで13日前、その間に5公演もあり、果たして乗り切れるのか心配しましたが、何とか予定通り公演をすまし、グラストンベリーのビデオでは確かに苦しそうに歌っている箇所はありますが、すこし前に声が全くでなくなった人とは思えないような復調振りを見せてくれました。グラストンベリー後8公演を更に行い、2007年7月9日のヘルシンキで終了しました。日程を追っているほうも心身ともに疲れましたので、当人達はうわさされた11月の日本公演を否定するような発言は当時ありませんでしたが、さすがにこれほどへとへとになって4ヵ月後にツアーを再開することはないだろうという予想は皮肉にも見事に当たってしまいました。
公演エリア別の集計はヨーロッパ53回(うちイギリス24回)、北米55回になります。
1999年は本格始動前の各地での顔見せ的な公演や珍しいアコースティックセットを含め7公演。ロンドン公演ではオアシスのNoel Gallagherが見て感動のあまり楽屋を訪れ、”You are crazy”(記憶が曖昧ですが)と賞賛?。 2000年が北米とイギリスでの公演で、合計38回。2001年はconcert for NYCの1回のみ。ピノ・ザックの初のリズム隊編成となった2002年の北米ツアーはわずか26公演でした。2003年は活動無し。2004年は変則的な公演を行った年で3月にロイヤルアルバートホールにあわせイギリスで4公演。5月にイベントでNYに行った際に、東海岸で2公演。6月にワイト島の前にイギリスで2公演。7月に日本で2公演、オーストラリアで3公演、ハワイで2公演、西海岸で2公演行いました。2005年はNYで二人のデュエット+キーボードでのNYでの公演とハイドパークでのライブ8との2回のみ。そして2006-2007はツアーとしてカウント(曲数の少ない単独イベントは省く)しただけで108回もあります。1999年〜2005年7年間のまでライブ回数が集計すると92回で前ツアーがどれだけフーにとっては大掛かりのものであったかが分かります。現ラインナップでは92-7-38(2000年)-2(2005年は現ラインナップでの演奏無し)=45回が2005年以前2006年以降は2倍以上もの108回です。
以前から気になっていたのが、2007年6月のグラストンベリーでのフーの演奏です。素人の勘違いかもしれませんが、あれほどリズム隊の結束の強さを感じさせるのはこれまで無かったのでは。結束というよりザックのドラミングに執拗にからみつくピノのベースラインと表現した方がよさそうです。ピートの暴走に必死についていくリズム隊から、ピートに拮抗できる又はつけいる隙を見せないほどの。108回のライブでバンドが新たに身につけたものがあれば、ひょっとすると2004年とは違った一段階上の側面を期待できる可能性もあります。進化と退行が並行して起きているこのバンドが、どういったものを(どちらの側面をより強く)11月に見せてくれるのか、楽しみです。